――わたしの名は榛葉邑那。
泣く子も黙る陽道グループの魔女とはわたしのことです。
そのわたしが今、ひとりで。ええひとりで。
再びこの学び舎を訪れる事になろうとは、他ならぬわたし自身にすら予測できぬ事でありました。
今回、イェンにも内緒で一度去った学院に来たのには、当然ながら理由があります。
――そう。今、私の手元にはとあるスプーンがあるのでした。
友人の一人が手に入れたその不思議なスプーンは、かつて凰華女学院の学生たちを混乱の巷に陥れた、いわば呪われた品。
しかし、このスプーンは、今回の計画にはどうしても必要なのです。
――それは、復讐。
わたしのことを散々制服が似合わないとかSD絵がキモイとか立ち絵がバ○アとか言った方へのっ……リベンジ!
そうです。そうですとも。
私は今度こそ、実社会のみならずこの学院においても勝者となるのです――!
うふふふふふ。
「――そんなわけで、手伝っていただきますよ、神さん」
「…………ねむい」
いやそこで寝ないでください。
わたしは岡本さんと違ってあなたを背負うような体力は無いですからね。
「つらい。しにたい」
鬱病を擬態するのはおよしなさい。あなたは単に眠いだけでしょうに。
「全て終了したら、通販さんの持っている快眠抱き枕セットを差し上げるといいましたよね?」
「……いまねたい」
「あなた、何をすべきかは……覚えていますよね?」
「……ゆーなの粉は、わたしが保管しておく」
よろしい。これでアフターサポートも万全です。
「……なんで通販さんに頼まないの?」
「ふふ……それは彼女と一つ賭けをしたからですわ」
誰もわたしを見破れなかったら、倉庫に眠っている幻の化粧品セットを頂けるということなのです。
「化粧が無いと、七難隠せない……と」
……こほん。ひとつ咳払い。
誰が七難ですかコラ。
「……わたしは肌が弱くて、普通の化粧品では駄目なのですよ?神さん」
「……若ければそもそも化粧品など必要な……きゅ、きゅ?」
ぎりぎりぎり。何かを締め上げる音がいたしますが、空耳でしょうね。
わたしの手が神さんのタイを思い切り引っ張っているなど――そんなことがあるはずはありませんね、ええ。
「神さん――眠ったままで海外旅行などいかがでしょうか?パスポートならすぐにでも用意させますが」
「……ど……どこへ?」
「上海、ロアナプラ、ヨハネスブルグ……どこでも素敵な観光をお約束しますわ」
「……おけ。だいじょうぶ。神はうそつかない」
いささか不安ですけども、協力者は必要ですからね。
「では、わたしは校舎に参ります。あなたも授業があるなら行ってかまいませんよ」
「今日は寝て過ごす予定だから、問題ない」
「……余計なお世話かもしれませんが、授業はきちんと出たほうがいいと思いますよ」
「弥生とのばらにあとで教えてもらうから、安心」
……その二人ではむしろ不安倍増ではないかと思うのですが。
まあいいでしょう。わたしはコンパクトを開けて、自分の姿を最終確認します。
それは何処から見ても、普通の中学から高校くらいの――少女。
若干地味めではありますが、まあ贔屓目込みで美少女と言ってよろしいでしょう。
ちょっとろりーなレベルで匙加減を調整するにはやや研究が必要でした。
しかしこれなら、百合のお姉さまも淫行教師も悩殺できること請け合いです。
大丈夫です、榛葉邑那○○才。わたしはまだまだイケます。
「では、スプーンと粉をお預け致します」
両者が入った袋を神さんに渡します。
「……ゆーな。一言言っていい?」
「なんでしょうか?」
「……悪いけど、やっぱり理事長や弥生とかだと、すぐ気付くと思う」
「それならそれで親族ということで乗り切ればいいのでは?」
「それでゆーなさんは満足なのかなー、と」
「どういう意味ですか」
「彼女らは去年の騒動の当事者でもある。つまり――ゆーながスプーンを使った可能性にすぐ思い当たる可能性もあるということ」
ふむ、一理ありますね。
まあ、のばらさんはともかくその二人はすぐ気付くほど頭の回転は早くないと思うのですが。
「仮にゆーながその姿で現れたしょうもない理由に彼女等が気づいたら――それはとても恥ずかしいことなのではないだろうかと」
しょうもない言うな。まあ確かにその通りですが。
「だから」
そう言って、神さんは袋からスプーンを取り出します。
「――いっそのこと、もう少し小さくなってみないかと」
――え?
で。何故かその数分後。
「……いささかちいさくなりすぎたきもいたしますがー?」
いつのまにか、わたしは十センチ角のデフォルト妖精さんになっていますよ?
せめて小学生なら一部から熱烈な歓迎をいただけたかもしれないというのに。
どうしてくれましょう。
「神は嘘つかない。少し小さくなっただけ」
「かぎりなくうそにちかいかとー」
確かに虚偽ではないがいささか過剰では?
と言うか、とっとと戻していただけないでしょうかね。
「もどすです?」
うーむ、思考と実際の発言が分離しているようですね。
そこで神さんが初めて、にこりと笑いました。
――ああ。
その悪魔の笑いを見た時、わたしは気づいてしまったのです。
この人、実は双子や弥生さんに劣らず悪戯好きなのだと。
「せっかくだから、しばらく妖精さんを楽しんできたらいいかと」
「おたすけー」
「一度寝てから、クッキー焼いてあげる。そういうことで」
そう言って、神さんはすたすたと去っていってしまいました。
身長十センチのわたしではそれを追いかける術もなく。
ぽつねんと一人、学院の庭に取り残されてしまいます。
「……せけんのかぜはつめたいです」
困りましたね。
彼女に手を噛まれるとは予想外でした。
普段から優しくしてあげていた筈なんですけどね。
まあ、悪戯好きなのはわたしも一緒。
人を責めるのはお門違いというものでしょう。
「……でもー、これでばれるきけん、なっしんぐです?」
あれ、言葉に出すとあまり悩んでいるように聴こえませんね?
……まあ、確かにせっかくの機会ではあります。
「たんけんですー」
一つ、妖精さん視点でこの学院を歩き回ってみるといたしましょう。
……しかし、結局その計画はすぐ頓挫するところとなりました。
しばらく開けた芝生をてくてく歩いていると、前方に白い小山があるではないですか。
それは規則正しく、ゆっくりと脈動しております。
……この大きさ。疑いようもありません。
「いぬころですー?」
これは相沢家の……駄犬!
確かシロとかいいましたか。
普段なら気にもしないところですが、この姿ではいささか緊張する相手です。
……この犬が居るということは、相沢家の面々も来ているということでしょうか?
理事長にでも会いに来ているのかもしれませんね。
尻尾のほうから慎重に迂回します。
ぱきり。
あらあら。
小枝を踏んでしまいましたね。
「……わふ?」
あ、起きた。
――気付かれましたよ?
「わふわふ?」
りらりらりらっくすした声ですが、立ち上がれば人の身長ほどにもなる大型犬です。
今のわたしにとっては恐怖以外のなにものでもありません――が。
この犬は以前、わたしの制服をべたべたにしたことがありましたね、そういえば。
ふふふふふふ。
いいでしょう。
やれるものならやってみなさい。
あとで元に戻ったら必ず眉毛を書いてやりますからね。
ついでに背中にバリカンで駄犬の証を刻んであげますよ。
闘争開始です。蹴りくれてやります。
「わふ!わふわふわふっ!」
「ちぇりおー!」
すぽーん。
「あーれー」
あっというまに駄犬の懐ですよ。
ぱしん。すぱん。ごろごろ。ぺろぺろ。かみかみ。
「もてあそばれるですー」
すでにしろさん、わたしを甘噛み状態です。全身てろてろです。
大層気に入られてしまったようですね。困ったものです。
やはり、十センチで闘争するにはいささか無理があったようです。
当たり前ですね。
逃げなさい自分。
そんなわけで、隙をついて走りだしてみます。
「だいだっそうですー」
しかし、簡単にまわりこまれてしまいました。
運動神経皆無のわたしですものね、はい。
たとえ妖精になっても逃げられるはずないですよね。
「たべられますー?」
かみかみかみかみ。ぱくり。
もぐもぐ。くちゃくちゃくちゃっ。
――ええ、こんなところで魂まで凌辱される気分を味わうとは思いませんでしたね。
さて、そのころ。
一切、何事も無かったかのように。
神さんは寝ていたといいます。
まあいつものことですね。
この後、わたしが如何なる旅路をたどり、ゆきてかえりし物語を地でいく大冒険をする羽目になったか。
語りたいのはやまやまなのですが、何分いささか記憶が混濁していることもありますので、それについてはまたの機会とさせて頂きたく思います。
……有体に言って、思い出したくもないということですね、ええ。
結局美綺さんにばれて株主総会で危うくネタにされかけたとか、化粧品が手に入らなかったとか理事長に踏まれそうになったとかゴンザレスとかいう猫に本気で食われそうになったとか。
そんなことは皆さん、聴いても楽しくないですよね?
そうだと言ってください。
お願い致します。
――ええ、そうですよね。ありがとうございます。
そう言って頂いて嬉しいですよ。
あ、お茶でもいかがですか?
現金だなあとか思わないで下さいね。
せっかくだから飲んでいって頂ければ、というそれだけですよ?ええ。
大丈夫ですよ、薬とか入ってませんから。
はい、こちらがお砂糖です。
――え?
このスプーンは今の話に出たスプーンですか、って?
ふふ――さて、どうでしょう?
お試しに、なりますか?
To Be Continued……?