わたくし、八乙女梓乃と申します。
いささか元気な祖父を持つ凰華女学院の学生です。
祖父に似ず、いささか対人恐怖症なか弱き乙女であるわたくしですが、最近、滝沢司という先生のおかげで見事社会復帰を果たすことができました。
先生とはおかげさまで以後健全なお付き合いをさせて頂いております。
え?健全ですよ?ええそれはもう縄とかお尻とか本当に。
……まあ、わたくしのことは置いておくとしましょう。
今回は、友人たちに起こったある不思議な出来事についてお話したいと思います。
――それは、とある冬の夜のことでございました。
その日は、丁度お菓子の調理実習の日で、夜は食堂で試食会が行われている筈でした。
わたくしはその日、たまたま体調を崩しておりまして参加しておりませんでした。
その頃、学院では風邪が流行っておりまして。「寮の標準時」と呼ばれる方までが罹患したと、学内でも噂になっていたところでございました。
わたくしもどうやら同じ病魔に囚われたらしく、数日ベッドで唸っていたものでございます。
しかし夜になって幾分回復してきたので、級友たちの様子でも、と思って食堂に来たのです。
食欲が戻ってきたのでお菓子にでもありつければ、という切実な動機も無論ありましたが、まあそれはそれとして、当然ダンテもお供です。おやつにありつく機会を逃す駄……いや愛犬ではございません。
――今になって考えてみますと、食堂に入る前からダンテが妙にそわそわしていました。
ええ、変だなとは思っていたのですよ?
しかしですね。
目の前に広がる食堂の光景は、わたくしの想像を絶しておりました。
「……これは、なんですか?」
「ちょっと変」などというものでは御座いません。
身長十センチくらいの可愛らしい何かがテーブルの上をちょろちょろしています。
床を歩いている方々はうっかりすると踏み潰してしまいそうです。
服装はどこかしらわたくしたちの制服に似ていました。
それを着ている方々――一応女の子らしく見えるのですが、これもどこかしら見覚えがあります。 えすでぃーとか言うのでしょうか?いや、これは……そうです。
恐らくこれは「妖精さん」というものでしょう。所謂ホーリーブラウニー。
……ちょっとにゅあんすが違いましたか?
あまりのことにまじまじと見ておりますと、何としたことか彼女らの一群に級友の面影を感じました。思わず、声をかけてしまいます。
「……風祭さん?三嶋……さん?」
みやび(仮)「そうだったきがしますなー」
鏡花(仮)「いたしますなー」
周りよりさらにちんまりした方と、その隣に居た方が手を振って答えました。
ああ、信じたくはありませんがどうやら間違いないようです。
しかし。この不安定な言説は如何かと。皆健忘症にかかっているのでしょうか?
「……気がするだけですか?」
みやび「ぼくらげんじつのはざまでゆれてますゆえー」
鏡花「むしろげんせがゆめかもしれぬですー」
ああ、根が真面目なだけにどうやらこの状態を受け入れたくないようですね、鏡花さん。
よくよく観察してみますと、分校組の皆様もたくさんえすでぃー化しているようでした。
「……はあ」
……以下は、盛大に溜息をついた後でわたくしが確認した、級友たちの変わり果てた姿でございます。
みやび「かざまつりのおうこくをきずくですー」
彼女については何かあんまり外見も変わっていないような気も致します。
しかしそれは心の隅にしまっておくのが恐らく優しさというものでしょう。
リーダ「いやいやこまったおかたですなー?」
わたくしとしては慎重なリーダさんがこんな状態に陥っているのが不思議なのですが。
まあ大方理事長に引き摺られたのでしょう。本当に困っているという感じがかすかに致します。
合掌ですね。
ちとせ「そんなえさでつられたですー」
クマとかけたネタのつもりのようですが、悲しいかな本人の思考力にも周辺の理解力にも限界があるようですね。
鏡花「だめにんげんですなー」
鏡花さんは妖精になっても優しいですね。一応フォローしているつもりのようです。
ちょっとだけ目頭が熱くなりました。
さて、分校組に眼を転じますと、こちらはなにやら宴の最中のようです。
美綺「みつゆのせいかです」
奏「しゅーるをしょもうです」
美綺「たべるとよいです」
奏「みんなでいただくです?」
弥生「くれー」
いやここで開けるなと。
そもそも何故お菓子の調理実習でその缶詰があるのでしょうか。
とりあえず缶切りをその集団から没収しました。
すると不満が別の集団からあがります。
香奈「おなかすいたです」
本当にこの缶の中身でいいんですか貴方たちは。
のばら「のこったおかしたべるです」
瑠璃阿「はんぶんこするです」
……なんでもいいんですねきっと。
千晶「すぴー」
この方は妖精になった意味がないですね。
智代美「しめきりがおそってくるです」
貴美子「うんめいをうけいれるです」
千鳥「わはー」
鶫「わはー」
……この方たち含め、分校の方々は何かあんまり変わっていないような気も致します。
「しかし……困りましたね」
この場合、どこに通報すればよいのでしょうか。
保健所?病院?それとも警察……?
「……こまったことになったと思うんだ、しの」
「ええ本当に……」
……振り返って見ました。
今度こそ、目が点。
「えー、と……殿ちゃん、ですか?」
ちんまりとした可愛らしい小学生がそこに居りました。
まぎれもなく、昔一緒に遊んでいた殿ちゃんの姿です。
よくよく見ると、殿ちゃんの頭には何かが刺さっていました。
「す……すぷーん?」
こくこく。頷く殿ちゃん。
……わたくしがくらり、と眩暈を感じたのは、熱のせいではなかったと思います。
――発端は分校の大銀杏さんが、実習用にこの不思議な計量スプーンを持ってきたことだといいます。
「つうはんさんから借りた、といってた」
はあ。またそれはそれは。
彼女の倉庫には、随分と様々なものが眠っているようですね。
「……さいしょにおおいちょうさんが、頭にスプーンがささったとかいい出して」
それから、何故かどんどんと彼女の頭から粉が出てきて――面白がった双子がスプーンを奪うとみんなを攻撃しだした、と。
ああ、簡単に想像できてしまうのが悲しくも微笑ましいですね。
むしろ笑うしかない、というべきでしょうか。
殿ちゃんも二、三杯は掬われたそうですが、上手く難を逃れたようです。
「みんながちぢんでいったのを見てかくれたの」
成程、冷静かつ狡猾な小学生ですね。さすがは殿ちゃん。
「でも、何で今も刺してるんですか」
「置いとくと彼女らがどこにもって行くかわからないから」
解ったような解らないような理屈です。
所詮は小学生ということでしょうかね。
ところで、そのスプーンにはなにやら数字が表示されています。666とか。
知能指数……ではないですね。
「スカウターだってこそがわさんがいってた」
「ごめんなさいわかりませんそのネタ」
「くわしくは『人類は衰退しました 2 (ガガガ文庫 た 1-2)』を読めばいいと思う」
「ここで楽屋オチですか……」
何といいますか、もうわたくしの気力がどんどん衰退していきそうですが。
まあ数字の謎はともかくとして、殿ちゃん以前に、誰か途中でやめようと思う人はいなかったのでしょうかね。双子絡みとあれば無理はないのかもしれませんが……正直みんな数字が最初から足りなすぎるのではないでしょうか。
「ところで、それが解っているなら、殿ちゃんはなぜその背丈のままでいるのですか?」
いつものマイペースな殿ちゃんならとっとと元に戻っていそうなものですが。
「自分ですくう量を調整してみたら、これくらいにおちついた」
「……で、その心は?」
「それより、問題がひとつあるの」
ガン無視ですかそうですか。
「……問題とは?」
「みんなの頭から出てきた粉は厨房にあつめてあるんだけど」
はあ……え?
ちょっと待ちなさい小学生。
「……集めてある、と言いましたか?」
こくり。
「ひょっとして……だれの粉かわからないくらい、混ざっている?」
こくこく。
……熱がぶり返してきたような気が致しました。このわたくしに一体どうしろと言うのでしょうか。
「……わたくし、寝に帰っていいですか?」
むんず。がっしりと裾をつかまれました。
「だめ」
小学生になっても押しは強いですね……
でも、そういえば昔から殿ちゃんはこんな感じだったような気も致します。
「このまま朝になったらたいへん」
ええそれはそうでしょうとも。
「……恐らく、粉を本人に返してやれば、みんなもとに戻ると思うの」
まあ前掲の参考図書を読む限り、そうなのでしょうね。
「そこで、しのにはこの粉でクッキーを焼いてほしい」
とっとと食わせてしまえと。まあ、その展開は正直予想していましたけど。
「……殿ちゃんはどうするのですか?」
「じぶんの粉はあらかじめ分けてあるから、あとで焼いて」
小学生のくせに抜け目ないですね……ん?
「よく考えたら、殿ちゃんがみんなの分も焼いてあげれば良かったのでは?」
「それも思ったけど、このかっこうだとはかどらないし」
「……わざわざその格好でいたい理由でもあるのですか」
こくこく。
「しのがクッキーを焼いているすきに、司のベッドにもぐりこもうと」
「却下です」
今すぐ自分の粉焼いて食え。先生を真性の鬼畜にする気ですか貴方は。
確かに今でもそれなりに鬼畜ではありますが、でもまあそれはそれとして。
こんな冗談が言えるなら、殿ちゃんは心配しなくて良さそうです。
……冗談ですよね?
「で、クッキーの割り振りはどうしましょう?」
参考図書によれば、この粉は彼女らの体格と知性を物質化したもののようです。
とすると、それぞれに応じて量を調整してやる必要があるでしょう。
「学期末の考課表と身長のデータに比例した数のクッキーをわけてあげれば、今までとそう差が出ないところにおちつくのでは、と」
「そんなデータがどこにあると?」
「さっき、はしばさんに借りてきた」
「何故榛葉さんがそんな物を持っているのかはこの際おいとくとして……用意周到ですね」
榛葉さんは縮んだ殿ちゃんを見て驚かなかったのでしょうか。
まあ、あの方は年相応に落ち着いていますからね。年相応に。
失礼。つい二回言ってしまいました。
「しかし、そうするとやっぱりわたくしは居なくてもよかった気がひしひしと……」
そうわたくしが言うと、今度は殿ちゃん、首をかしげて。
「でも、しのが焼いたクッキー、食べたいし」
にっこりと笑いやがってくれました。
……ええ、反則ですねこの笑顔は。
わたくしが断れないのを解っていて、こういう仕草をするんですから。
でも、まあ仕方ないですね。
「……では、そうしましょうか」
弥生「はんたーい」
ええ、貴方はそうでしょうね。
彼女はこのままのほうがいっそ幸せな気も致しますけど、倫理上さすがにそうもいかないでしょう。
「却下いたします。ダンテ?」
「わう?」
「みなさんがクッキーをつまみ食いしないように監視しているんですよ?」
「わう!」
身長十センチの皆様にとって、ダンテはまさに地獄の番犬に見えたかもしれません。
香奈「ぴーっ!」
美綺「ジェヴォーダンのけものですー?」
奏「おいしくいただかれるです」
貴美子「むしろいただかれたいです?」
瑠璃阿「い……いささかすじおおめですが?」
のばら「むしろきんにくびです?」
まあ、そんなこんなで。
皆さんが割り当て分のクッキーを食べ終えたのは、明け方になってからのことでした。
体格と知性、双方の微調整のために、最後はクッキーを割ったりなんやかや。
一部ではクッキーの欠片を巡ってカードバトルが行われていたとも、後で聞きました。
「えくれーるです?」
「しほうじゅんらんですー」
とかなんとか、様々な必殺技が飛び交っていたようですが。
しかし、ついに大銀杏さんがバトルで勝利を収めることはなかったようです。
彼女の身長は、結局三センチほど前日から縮んだとのことで。
合掌ですね。
自業自得とも言いますが。
ちなみに殿ちゃんは途中でいなくなりました。
ええ、私が焼き上げた彼女のクッキーはしっかり持って。
滝沢先生は、あとできっちり問い詰める必要がありますね。
――さて。疲労困憊した病み上がりのわたくしも含めて、最終的に復活した彼女らに後片付けの気力など残っている筈もございません。
故に、皆の引き上げた食堂は、妖精モードの彼女らが散らかしたお菓子の残りや、厨房で獅子奮迅の働きをしたわたくしが散らかした食器で、それはもう酷い有様でした。
ですが、わたくしは部屋に帰りつくなりダンテを抱えたまま眠りに落ちてしまいましたので、その後のことは知りません。
正直申しますと、もう知りたくもないですね。
あのスプーンも、もう二度と見たくないです。
ええ本当に。
P.S.
「あさー」
ちあきですー。
ねていたらくっきーがないです。
こなもないです。
「ひどいしうちですー」
あとでるりあにねだるです。
もってなかったらなくです。
「……だれか、きたです?」
なんとなくかくれるです。
「やっと風邪から回復してみれば……なんですかこの有様は!食堂を使った後はちゃんと片付けるのがルールというものでしょう!まったく……彼女らは淑女として恥ずかしいと思わないのでしょうか」
あーすみすみですー。
ぷんすかしてるです。おやくそくですなー。
でもひとりでかたづけはじめるのはぽいんとたかいですなー。
「はて?この計量スプーンは、厨房の備品ではないようですね……?」
すぷーんにきづいたようです。
あのふたり、かいしゅうするのをわすれたです?
「あらあらあら。面白いものを拾われましたね?仁礼さん」
いつのまにかゆーながいるです。
しょうじきちょっぴりこわいかもです。
「……榛葉さん?このスプーンがなにか?」
「さて、なんでしょうね?でも、持っていれば、ちょっとした人助けができるかもしれませんよ?」
「……人助け、とは?」
「ふふ……それは、ですね……」
ゆーながあたまごしにこっちみたです。
……にっこりとわらったです?
「とりあえず、紅茶でも如何ですか?仁礼さんも、神さんも」
……とりあえず、おちゃかい、です?
「妖精さんの、かにしの」end.