遥かに仰ぎ、麗しの 二次創作SS

「やりすぎ。それはやりすぎです。」




 欲張りな夢はいつも心を乱すけれど

 今僕が君に出来ることは

 多分そんなに難しいことじゃないはず

   ――山崎まさよし「オモイスゴシ」


《1》


(わう)

(しーっ。ダンテ、大人しくしてなさい。七時になったら司さんを起こしてあげてね)

(……わう?)

(そうそう、いい子にしていたらあとでクッキーを差し上げますよ。おいたしたらお仕置きですからね?)

(……きゅうん)

(ふふ、ダンテはいい子でちゅねー。……では、頼みましたよ?)

 静かに扉を閉める音。滝沢司は、夢うつつでそれを聞いていた。

 ――ややあって朝七時。

 ぴぴぴぴ……と目覚ましが鳴り出すと同時に、ダンテは行動を開始する。ベッドの上、司が眠りを貪る傍らにもそもそと上がり、寝顔を見て首をかしげた。

「きゅうん……?」

「うー……ん」

 ふむふむ、と何か合点したダンテは早速次の行動に移る。ぺろぺろぺろぺろっ。

「んむむっ……ダンテか? こら……瞼を舐めるのはやめろ」

「わうわう!」

 ご主人様の命令はしっかり実行。

「ふあああああ……梓乃は?」

 あくびと一緒に、上半身を起こした司は大きく伸びをする。朦朧とした視界は段々と晴れていくが、その範囲に梓乃の姿はない。

「今日は戻るのが早いな……何かあったのかな?」

「わうわうっ!」

 一人ごちる司への返答はダンテがしてくれた。

「ん――ダンテ、何をしてる?」

 テーブルの上に、ダンテがいつの間にか登っていた。目線が同じ高さにあるのが妙な感じだ。

 お前、そんなジャンプ力をいつの間に?と思ったが、よく見ると丁度踏み台になるように椅子が置かれていた。梓乃の仕業だろうか。

「しかし行儀が悪いな。そこから降りなさい……うん?」

 で。ダンテはテーブルで何をしているのかと言うと、そこに置かれている二通の手紙をぺしぺし、と前足で叩いているのだった。

「……手紙?」

「わうわうわうっ!」

「読め、ということかい?」

「きゅうん」

とのお言葉。ご主人様だけでなく、司とも意思の疎通はばっちりだ。

 一通は梓乃からだった。繊細な字でつづられた内容は短い。

「本日十八時より、理事長の離れにて殿ちゃんたちとちょっとした宴を企画しております。必ず来て下さいね 梓乃」

 もう一通はその理事長から。こちらはいかにもみやびらしい迫力溢れる字だ。

「くれぐれも遅れずに来るように。これは理事長命令だうっかり逆玉男。遅刻したら太平洋で鯨と競泳させてやるから理解したらみやびちゃんぷりちーと大きな声で煩悩の数だけ唱えろ」

 無理です理事長いろんな意味で。と司は思ったが、さて。

「……宴?」



《2》


 時間は少々遡る。

 「その日」のことを知ったときから、八乙女梓乃はずっと計画を練っていた。最初に相談したのは、当然ながら一番の親友である鷹月殿子。

 彼女らは、今も凰華女学院分校に在学している。単位はほぼ足りていたが、二人は未だ少々羽ばたくための準備を整える必要があった。

 鏡花ら級友は一足先に卒業したが、連絡はずっと取り合っている。理事長たちの尽力により、外出日や面会日の縛りは少しずつ緩和される過程にあり、以前ほど外から隔絶されているとは、梓乃も殿子も感じなくなりつつあった。

 彼女らの表情にも、もはや去年の春のような翳はない。最も、その理由は外出日云々とは直接関係は無かったのだが。

(もっとも、これもまた司さんの存在がもたらした間接的な効果、かもしれませんが)

 そう。彼女等の翳を拭い去ったのは、あくまで一人の教師。

 だからこそ、梓乃は。

「殿ちゃん、殿ちゃん? 滝沢先生のことなのですけど」

「何かな、梓乃?」

「来週の休日ですが、何の日かご存知でしたか?」

 殿子はちょっと考えていたが、ややあって思い出した。

「……前にちらっと司に聞いたことがある。滝沢の家に養子に入ったのが、確か今頃だった、とか」

 それは彼が「滝沢司」になった日、その出発点。だからこそ、と梓乃は思う。

「わたくしは、先生をお祝いしてあげたいんです」

 だから協力してくれませんか、と梓乃は親友に懇願した。傍らではいつものようにダンテが二人を見上げている。無論、梓乃の願いを断る殿子ではない。ましてや、それが司のことであればなおのこと。

「そうだね、梓乃は正しいと思う。それを言うのに相応しい人は、梓乃しかいないと思うから」

 司の手が、梓乃に世界との繋がりを取り戻させた。そして梓乃との繋がりが、司の恐怖を振り払わせた今だからこそ、それは再び祝う価値がある。その日は司にとって、新たに梓乃と二人で迎える最初の誕生日となるだろう。

 殿子は柔和な笑顔で頷く。

「……にぎやかにやろう。卒業した人も呼んで」

「ええ。風祭さんに連絡をお願いしようと思います。幸い、ちょうど休日でもありますし」

「面会日とかぶるね。丁度良い」

「で、お料理はわたくしたちで作ろうと思うのですが、殿ちゃんも先生の好物を何かお願いできないかと」

「それじゃ鳥釜飯あたりかな? いいけど、梓乃は何を作るの?」

「うふふ……メインはローストビーフを作ってみようかと。あと、デザートはケーキやクレープなどあれば良いかと思うのですけど」

「いいね、美味しそう。でも、釜飯と合うかな?」

「ローストビーフはお醤油で頂いても美味しいですし。バイキング形式にすれば皆さんいろいろ楽しめてよいかと思うので、あまり統一性は無くてもいいのでは?」

「それならオードブルも和洋中いろいろ作ってみようか」

「ええ、三嶋さんや結城さんも多分何か持ってくるでしょうし、今回はわたくしたちだけでやりましょう。食材は学院のシェフに調達していただくことに致します。比内地鶏でも名古屋コーチンでもなんでも揃うそうですよ」

「そう。じゃあ鳥はそっちでもいいかな」

 なぜか、殿子は空をじっと見ていた。

「そっちでも? ……と言うか、殿ちゃん、どうしました?」

「んー。鳩が飛んでる」

 梓乃もつられて見上げた先には、確かに連れ立って飛ぶ野生の鳩が。

「……確かに飛んでますけど、殿ちゃん、鳩が何か?」

「梓乃、鳩って食用になるって知ってた?」

「え?そうなのですか?」

 言われてみると、フランス料理か何かであったような気がするが。

「うん。美味しいよ?」

 でも何処かこの流れには違和感が。

「ちょ、ちょっと待ってください……殿ちゃん?」

「なに? 梓乃」

「伺ってもいいですか? 何故、鳩の味をご存知なのです?」

 レストランで食べたことでもあるのだろうか。

「この学校に来て最初の頃だけど、午前中から散歩に出て、迷ってしまったことがあって」

 お弁当が無くてちょっと困ったのだけど、と殿子は淡々と説明する。

「え? 何の話ですか?」

 梓乃には話の先が見えない。

「とりあえず開けた場所で休んでいたの。それで、ふと空を見上げたら鳩が舞い降りてきて」

「……はあ」

「この辺りの鳥は人を恐れないのね。餌付けされてるわけでもないのに近づいてきて」

「……いえ、鳥にも獣にもそこまで無警戒に好かれるのは殿ちゃんくらいですが」

 と言う突っ込みはさておき、梓乃にはなんとなく嫌な予感が。

「当時は山菜とかあまり詳しくなかったし、でもお腹は空いたから」

「待ってちょっと待って下さい! その先は言わなくていいです!」

「まず紐とカッターナイフを取り出して」

「お願いですから言わないでえええっ!」

「わう?」

 取り乱す梓乃を見ていたダンテは、不思議そうに声をあげたのだった。



《3》


 殿子と当日の打ち合わせは終了したが、梓乃にはまだ考えねばならないことがあった。宴の後の、夜についてである。

「どうしましょう? ちょっと今になって気後れが……」

 折角の記念日だし、二人で過ごす夜も普通ではないものにしたい、と思ったのは良いのだけど。

「例えば媚薬やこすぷれなど……いえいえ、それはやりすぎです」

 流石にそんな変な物はは手に入らないだろう、と思う。ただ、梓乃には一つ心当たりがあった。

「分校寮の方に、裏ルートでいろいろ手に入れていただける方が居ると聞いたことがあります」 

 梓乃の分校組の知り合いは相沢と上原くらいだったが、二人とももう卒業している。しかし。

「顔の広い相沢さんならば、つてを知っているでしょうか……」

 電話で相談してみましょうか、と一人ごちる。無論、梓乃は相沢自身が裏ルートの担い手だとは知らなかったのだが。

「おやおや? しのしのアタシを呼んだかねっ」

 正にその時、これ以上無いタイミングで背後から声が聞こえた。

「ふっ……ふええええええっ?」

 振り返ると茂みの中に、何故かサングラスを掛けて黒いスーツを着込んだ相沢美綺の姿が。手をちょいちょい、と振っている。こっちに来い、ということらしい。

「相沢さんっ? 今日は面会日ではない筈では……しかもその格好は?」

「ふっふー。アタシはどんなセキュリティも打ち破る腕利きえーじぇんとなのさっ」

「……いえ、それはどう考えても嘘でしょう」

 梓乃は動揺しつつもそこだけは冷静に突っ込む。と言うか、そもそも腕利きエージェントがこんなあからさまに怪しい格好をするだろうか。

「実はね、ちょっち急用があって分校寮に行ってたのさっ」

「はあ……ですがどうやって出入りを?」

 その格好で。というかたとえ制服でも正門からでは無理だろうに。

「ふふふ、それはヒミツなのだよ明智くん」

 梓乃は唐突に合点がいった。そして裏ルートの噂の正体もまた。

「……どこかに抜け道があるのですね? そこから相沢さんが今まで色々」

「にゃはは照れるねっ。まーまーそれはそうと、何かあったかにゃ?」

 そうでした、と梓乃は偶然に感謝する。

「あの……相沢さん、ご相談があるのですが」

 で、今二人は連れ立って温室にいるのだった。春から温室を管理している眼鏡の少女が同席している。彼女のことは梓乃も知っていたが、美綺と親しいとは知らなかった。しかも、通販さんと美綺が呼ぶその少女が。

(まさかこんな人だとはっ……)

「そちらの方面なら、ネット通販のほうが良かろう。通常の流通に乗らないものも豊富だ」

 梓乃の目の前には、ホームページからコピーしたと思しきけばけばしい色彩のカタログ。冊子のカタログや雑誌もどっさり山のように積まれている。

「ほっほう。えろえろ系ですか……もう夜の生活マンネリなのかにゃっ?」

「あの……失礼ですがこれらのいかがわしい本やカタログは一体どこから?」

「通販さんが買った商品に、とか。リピーター狙いなのかな?テレビじゃ買えない品も一杯あるんだってさ」

「その……では、通販さんはこれらの品々を買われたのですかっ?」

「色々だ。試したり、そのまま倉庫行きだったり」

「はううっ……試したこともあるんですか……」

 試すにもいろいろ意味はあるけれど。しかし、個人向けの荷物はあまりチェックを受けないとはいえ、こんな品々が堂々(?)と学院に運び込まれていたとは。凄い世界です、と梓乃は軽い眩暈を覚える。

「でもさ、しのしのも頑張るねー。もうセンセと倦怠期突入しちったの?」

「違いますっ! わたくしはその、なんというか……日々の生活に彩りを」

(むしろ毎日ますます激しく……いえいえっ、そんなことは恥ずかしくて言えませんが)

「彩りねー。これなんか熱帯の極彩色って感じかにゃー?」

 何冊かあるうち、美綺が一番毒々しい表紙の雑誌をばばっと開く。一緒になって覗き込んだ梓乃は、最初のページを見た瞬間声を上げてしまった。

「ふええええええっ……」

 ××とか××××とかの総天然色写真が一杯。キャプションも下品かつ扇情的なものばかり。

 目が点状態の美綺と梓乃は、一緒になって五分ほど固まった。美綺も意外とこっち方面には耐性が無いらしい。赤面する二人を尻目に、通販さんだけがあくまで冷静にページを手繰ってゆく。

「あはは……いやー、裏モノって広告も露骨だねっ。……うわ、ぐろぐろ無修正……あ、これとかどうかにゃ?」

「あうううっ……はっはいっ……えーと、せ、精力剤……ですか?」

 梓乃は眼をそらしつつもページをおずおずとめくるが、読み進むにつれ段々と顔色が青くなっていった。彼女等を眺めていた通販さんはぼそりと呟く。

「使用例とか報告記事とかはどれも似たようなものだが……この辺ならまあハズレはないと思う。硬度や持続力を求めるならば、もう少しハードな薬も手に入るが」

「いえいえいえっ! 大丈夫ですっ……!」

(やりすぎ。それはやりすぎです。でも……ちょっとだけ、試してみたい気も)

 そうか、と残念そうな通販さんに代わって、美綺が別の雑誌を取り出す。

「でもでも、しのしのが気になってたのは、薬じゃなくてむしろコスチュームのほうだよね? これとかどう? それともこんなのとか」

「あの……いえ、ラバーや皮革製品はちょっと刺激が強すぎるのではないかと……」

(でも……でもでもっ)

 それはともかくとして、確かに衣装には興味があったのも事実なわけで。

「これ……一部、お借りしてもよろしいですか……?」

 結局、カタログと情報誌を兼ねたようなそのえろえろな雑誌を、梓乃は持ち帰った。夜、自室に帰ってからもう一度詳しく読んでみる。

 ベッドの上で正座して、真剣な眼でページを手繰る梓乃を不思議そうにダンテが見守る中。

「こっ……こんなっ凄い……」

とか、

「ふえっ! ひひ酷いっ……これは酷いものですね……っ」

とか、梓乃はダンテには全く意味不明なまま盛り上がっていた。

 やがて一つのページで、梓乃の手が止まる。

(こっ……これが……殿方が憧れる女体盛りというものなのですかっ……!)

 横たわる女性に綺麗に盛り付けられた刺身や海老、蟹といった海産物。これも酷い、と最初は思ったのだけれど。

 もしも。自分のレパートリーと今回のメニューを考慮したなら。

(お刺身は無いですが……お料理の内訳はローストビーフに鳥釜飯。その他オードブル。そして……デザート?)

 ならば。

「……そうですね。これで行きましょう?ダンテ」

「わう?」

「うふふふふふふふふ……お待ちになっていてくださいね、司さん」

 恐らく他人には見せられないであろう笑みを浮かべつつ、それでもまだ梓乃は一抹の不安を覚える。

「……引かれないかしら? いえいえいえっ! 大丈夫です梓乃! 大丈夫ですよっ……たぶん」

「きゅうん……?」

 ばたばた、と枕をベッドに打ちつけて必死に不安を打ち消す梓乃を、ダンテはその晩やや怖がっていた。


 臆病ないつかの僕に振り回されてるけど

 今僕が君を抱きしめたら

 多分違う明日がやってくるはず



《4》


 僕こと滝沢司は指定時刻の十分前に離れについた。出迎えてくれたのはリーダさんだ。

「皆さま、もうお待ちですよ。どうぞおあがり下さい」

 広々とした食堂には見慣れた顔の面々。最初に目が合ったのはこの春卒業した二人だ。

「せんせ、おひさー! 元気そうだね!」

「滝沢先生、お久し振りです。本当にお変わりなくて何よりですわ」

 三嶋が結城を迎えに行って、途中から一緒に来たそうだ。卒業しても、変わらずこの二人は仲が良いようだった。うんうん本当に何よりだ。

「相沢さんと上原さんは残念ながら来れませんが、代わりに伝言とお土産を預かって参りました」

「そーそー、二人からおつまみ沢山もらったよっ。で、これはあたしと鏡花ちゃんからっ!」

 じゃじゃーん、と効果音つきでちとせが取り出したのは高そうな洋酒やら日本酒やら。

「……君たちゃまだ未成年だろう。どうする気だこれ」

「せんせが飲めばいいっしょ。ねーりじちょー?」

「ふふん、安心しろ滝沢司。お前が飲まんならあたしらが責任を持って引き受けてやる」

「お嬢様……理事長の身でそういう発言は如何かと」

「なにおう? リーダまであたしを子供扱いするのかっ! もう酒だって飲めるぞっ!」

「まーまーりじちょーそれはまた後でっ。はい、これはダンテへのおみやげだよー」

 ダンテがしきりにくんくんしていたバケツ状の容器。ぱかっと開けると、司には懐かしい臭いが溢れた。一般人にはやや贅沢かもだが、お嬢様方にとっては庶民の味であろうそれはケンタッキーフライドチキンのパーティバーレル。確かに旨そうだが、僕はやや不安を覚える。

「結城、ちょっとダンテには味が濃すぎないか?」

「えー、だってだって沖縄では祝い事のときにけんたっきー贈るってこないだテレビでやってたよ」

ダミアンだって喜んでたんだよっ、とちとせは良く判らない例を持ち出す。

 ねー、ちとせは同意を求めるべく梓乃に話を振るが、彼女もやや首をひねった。

「いえ、ダンテも喜ぶとは思いますけど……皮は剥いたほうがいいのでしょうか」

「でも、皮が一番美味しいのですよね……あと、鳥の骨は刺さり易いですから取ってあげないと」

 とこれは鏡花。一方、おあずけ中のダンテは尻尾をびゅんびゅん振り回して、

「わうわうわう!」

 もう飛びつかんばかりの勢いだ。催促ににかっ、と笑ったちとせは足を一本取り出すと、

「ほらっ! いってこーいダンテっ!」

 ぽいっ、と部屋の隅に放り投げてしまったので、当然あとはもう犬まっしぐら。

「はううっ、そのままでは……ああ、お行儀の悪い子ですね……もう」

 梓乃の嘆息も既にダンテには聞こえず、ばくばくと皮ごとかぶりつく。

「まあまあ、たまにはいいだろう。ダンテが食べきれない分はみんなでもらえばいいさ」

「そうですわね。でもまずは、八乙女さんや鷹月さんに腕を振るって頂いた料理の数々をご馳走になりましょう? 私、久し振りですからとても楽しみで」

 そう言って鏡花は梓乃を慰めると、話を進めるべく軌道修正を図る。

「大人数に食べてもらうのは久し振りだから、作り甲斐があったよ。釜飯は沢山炊いたから、余ったらお弁当に持っていって」

 と、これは殿子だ。彼女と梓乃は汎用服にエプロンをしている。今日はおさんどんに徹する予定らしかった。二人とも家庭的な雰囲気をかもし出していていつもよりさらに可愛く見える。

「ふふふ、このあたしが居るからには飯も肉も残すなど許さんぞ。特に労働者お前は――」

「お嬢様。そろそろ会を進めたほうが宜しいのでは」

「む……こほん。ところで労……もというっかり逆玉男、お前今日が何の会か理解してるか」

「いや……あの手紙二通だけではさっぱり……実際、何なんです?誰かのお祝いですか」

 就職祝いとか誕生祝いとか?梓乃との婚約祝い……はもう済ましたし。

「はあ……相変わらず自分のことには鈍い奴だ。ではあたしが宣言してやろう」

「どうぞ、お嬢様」

 リーダさんがいつのまにか用意したみかん箱にみやびが登る。演台代わりらしい。

「いいか! これは八乙女からの依頼に応じてこの風祭みやびが主催する会だ! 理解したら平伏して感謝しろ労働者。そもそもお前は――」

「はあ……お・じ・ょ・う・さ・ま?」

「……あーその、何だ、つまりだな。今日は滝沢司、お前の誕生会だ」

「……へ?」

 誕生会って、と疑問に思う僕の前に、梓乃がそっと進み出る。

「そこから先は、わたくしから説明させていただきます。かつて、先生が滝沢家に迎えられたのが、ちょうど今頃であったと、先日わたくしは先生のご両親からお伺い致しました」

 梓乃は僕を見て、しっかりとした声で言葉を紡ぐ。その声は、もう嘗てのように人前でもか細く震えることはない。僕の養父母と会ったときもそうだった。堂々と、胸を張っていた。

 養父母。僕にとって生みの親より遥かに大切な両親。そう、言われてみれば確かにこの時期だった。今となっては生まれた時から彼等の子供だったような思いで居るから、特に意識してこなかった日ではあるけれど。それは確かに彼等に子として迎えられた日であり、僕が他の誰でもない滝沢司になった日なのだった。

「その時思ったのです。その日こそ、今の私たちにとって祝福すべき日だと」

 そして今日。昨年は、人前で喋ることすらままならなかった梓乃は。

「皆様がご承知の通り、滝沢司という人が居なければ、わたくしは今も闇の中にいたでしょう。ですから皆様に、そして何よりも先生ご自身に、その日を祝っていただきたかったのです――」

 ですから、と梓乃は続けて大きな声で、僕を虜にするあの笑顔で思いきり叫ぶ。

「滝沢先生、おめでとうございます!」

 それにみんなが一斉に唱和して。

「「「「「「滝沢先生、おめでとう!」」」」」」「わう!わうわうわうっ!」

 ダンテまで一緒になって、祝福と拍手と、クラッカーの音。

 ……不覚にも、僕は涙が溢れそうになった。

 この後に待ち構える展開をもし僕が知っていたとしても、やはり泣いたかもしれない。それぐらい嬉しかったわけだが、まあそれはともかく。

「さて、前置きはここまでだ。今日は存分に食え飲め歌え! 理事長が認めるぞ!」

「風祭さん、『飲め』はさすがにどうかと……お酒は二十歳になってから、ですわよ」

「細かいこと言うな鏡花。この邸内は治外法権、あたしが法律だ! 十八禁も未成年も知ったことか!」

「お嬢様。そういうことはあまり大きい声で仰るのは如何なものかと」

「まーまー、ほらどんどん配ってくよー! 食べて食べてっ!」

 肉汁のしたたるまだ熱々のローストビーフを切り分ける梓乃。大釜で炊いた鳥釜飯を碗に盛り付けていく殿子。二人からそれを受け取ったちとせがみんなに配膳していく。

「はい、先生の分ねっ」

 うむうむ。小さめのお椀に六割ほど盛られた釜飯。米粒の立ちまで美しい。薄めにカットされ、たっぷりソースのかかった柔らかそうなローストビーフ。どちらも非常に美味しそうだ。

(さてどっちから食べようか)

 しかし僕が箸を手にすると、何処からかちりちりと強い視線を感じる。

 辺りを見回すと、梓乃と殿子が並んでじっとこちらを見ていた。なんとなく必死な感じの梓乃に対して、殿子は冷静で目を瞑っているようにも見えたが、僕の視線に気づくと――片目だけ、ぱちくりとやった。その仕草にああそうか、と僕は納得して、箸でまずローストビーフを口に運ぶ。

 もぐもぐもぐ。ソースと一体となって肉汁が口の中にじゅわ、と溢れる。以前テレビでローリーズのローストビーフを見たことがあるが、恐らくあれすら凌駕する出来だろう。さすが梓乃だ、と僕は感動しつつばくばくと続けて食べてしまう。

 梓乃が我慢できなくなったのか、おずおずと近寄って感想を聞いてきた。

「あの……お口に合いましたでしょうか?」

 勿論、僕の答えは決まっている。

「美味しいよ、梓乃。最高だ」

 当然、真実に本当に旨かったのだけど、返事を聞いた後の梓乃の晴れ晴れとした笑顔を見ると。

(……殿子、さんきゅーな)

 僕がもう一人の気配りに感謝したのも、また事実なのだった。

「美味しい美味しいよ八乙女さんさすがっ! ほらりじちょーも食べて食べて」

「結城っフォークを突き出すな刺さるぞっ! ふむ……釜飯もいくらでもお代わりできそうだな」

 ナイフとフォークでちとせと格闘しつつもみやびも料理には大満足している模様。それを横目で見つつ、鏡花もなかなか旺盛な食欲を見せる。

「はあ、子供二人の保護者になった気分ですわね。でも、本当に美味しゅう御座いますわ」

「あ……ありがとうございます」

「三嶋ああああ!子供とは誰のことだっ!」

「お嬢様、お平らに」

「ふふ……みんな楽しそうだね……あ、美味しい」

 作業から解放された殿子もローストビーフをつまみ、梓乃は釜飯をもぐもぐ。

「ええ、良かったです。お料理も幸い良い出来で」

「――ところで、司はまだ食べたそうだけど、お代わりはあげないの?」

「ええ、先生はいいんです」

 殿子はちょっと不思議そうな顔をしたが、何も言わなかった。

 さて、宴も進み、互いの会話も弾む中で、今の僕は少々状況に悩んでいる。あんまり美味しいのでお代わりを頼んだのだが、何故かことごとくかわされるのだ。僕が先ほどの梓乃の言葉に感動した結果、飯も喉を通らない状態、であるならばそれでも良かったのだが、一応成人男性である僕としては肉も飯も最初の量ではちと物足りない。

 作った量が少ない……訳ではないと思う。その証拠に、隣ではリーダさんと梓乃がこんな話をしていた。

「八乙女様、ローストビーフを一人につき五百グラムというのは少々多かったのでは?」

「ローリーズの標準では約二百八十グラムだそうですね。でも、残っても保存がききますし、皆さんにも気に入って頂けたようですから。風祭さんも全部食べて下さったようですし」

 最も、梓乃が自分で食べたのはその半分程度だが。後のことを考えると、彼女もあまり食べ過ぎるわけにはいかないのだった。

「お嬢様は未だ成長期ですから……出来れば口の周りを拭くなどマナーの面でももっと速やかに成長して頂きたいのですけど、私が至らず……」

 微笑みながらも溜息をつくリーダさんは、ほとんど小学生の子を持つ母親のようだ。

「リーダさん……それはフォローになってないのではないかと」

 殿ちゃんは量、多かったですか?と梓乃は親友に尋ねてみたが。

「ううん?美味しかった」

 殿子は綺麗になった皿を前にけろりとしていた。

「殿ちゃんも食べるの速いですわね……あれ?でもさっき、結城さんからも残りを頂いてませんでした?」

「うん。ちとせは三百グラムぐらいでリミットみたい」

 五百グラムプラス二百グラム。……梓乃は、やや考えてから尋ねる。

「一つ聞いてよろしいですか?もし食べられるだけ食べてと言われたら、殿ちゃんはどの程度いけそうですか」

「んー。お肉なら三キロぐらいはたぶんいけると思う。脂身が多いのは苦手だけど」

「……聞いたわたくしが愚かでした」

 殿子のお腹をちらりと見ても外見に全く変化は無し。自分のお腹をちょっとだけさすってみて、梓乃はしょんぼりと溜息をついた。

「殿ちゃんにはいつも驚かされてばかりです……」

 ……ということで、僕は疑問なわけだ。

 梓乃の言葉によれば、主賓は一応僕の筈。なのに、最初に切り分けられたローストビーフはどう見ても五百グラムどころか二百グラムあるかどうかだったし、釜飯のお代わりは何故かスルーされるし。いろいろ用意されたオードブルやデザートの類も僕の前には申し訳程度。

 しかも、先生は主賓なんだから動いちゃ駄目、と結城に言われたので自分で取りにも行けない。冷静に考えれば所詮料理だけのこととはいえ、目の前に美味しそうな料理が沢山並んでいるのに手が届かないというのは精神的につらい。

「はっ……ひょっとしてこれは罠?」

 その結城ちとせは、いつものクマを赤ん坊よろしく背負って参戦している。いわく「この子と一緒に雰囲気を味わいたい」だそうで。彼女の考えることもたまによく判らないのだがそれはともかく事情聴取を試みる。

「結城……なあ、実は僕に恨みでもあったのか?」

 冗談めかして聞いてみたものの。いやー、とちとせは申し訳なさそうに笑うと、

「ごめんねせんせー。八乙女さんに言われてるの。せんせーには控えめにって。理由は後で聞いてねっ」

とだけ告げて理事長のほうに行ってしまった。

 何故だ梓乃、と僕はちょっと苛々してナプキンをいじくっていると、一枚のカードがひらり、と落ちた。どうやら下に隠れて居たらしい。

「何だ?バースデーカード……か?」

 梓乃の字だろう、手書きでお祝いが書かれたそれを裏返すと、

「夜食を用意してありますから、この場では食べ過ぎないでくださいね 梓乃」

とこちらも見慣れた字で書かれている。……ふむ。一応、理由は分かったけど。でも僕は、まだどこか腑に落ちない。

「……そもそも夜食ってなんだ。ダイエットメニューか?」

 そりゃ梓乃の作る料理は普段から美味しいから沢山食べてしまうにしても、最近そんなに太ったとも思えないのだが。というか、これほど美味しそうな料理を前にして我慢しろと?

 何も今日、あえて夜食を別に用意しなくてもいいのでは、と僕は思うのだけど。

「梓乃……腹八分目までならいいだろ?」

 あんまり不思議だったので梓乃にも直接聞いてはみたものの。

「六分まででお願い致しますね、先生」

 こちらはにっこり笑顔で即座に却下された。

「……なんなんだ、一体」



《5》


 さて、その後宴もたけなわという頃、梓乃は殿子にだけ断ってその場を辞した。

「……ここからが勝負です」

 伝言を聞いた先生が来る前に準備を終えなければ。

「わうん?」

 足元をとことことついてくるダンテが梓乃を見上げる。部屋を出る時、目聡く見つけてついてきたらしい。普段なら可愛く思うところだったが、今日は先生の部屋に来られてもちょっと困るし。

「ダンテ、ごめんなさいね?今日のところは部屋で大人しくしていて下さいな」

 と言うわけで、彼は部屋でお留守番。

「うふふふふ……先生、驚くかしら……?」

 もはや引き返せない梓乃なのだった。

 周囲の喧騒が指数曲線を描いて増大していく中。

 ちびちびお酒をやっていてぼーっとしてきた僕は、突然くいと袖を引っ張られた。

「殿子? どうした」

「梓乃が司の部屋で待ってる。行ってあげて」

「……何かたくらんでるな?」

「私は良く知らない。計画したのは梓乃」

「しかしこっちは?主賓が抜けてもいいのかな」

「大丈夫。女の子だけでしたい話もある筈だし、気にしないで」

 それに先生の前で流石にお酒は飲めないから、と殿子は悪戯っぽく微笑む。なるほどね。

「では、ここは失礼させてもらうか。釜飯旨かったぞ、殿子」

「ふふ、ありがとう、司」

 殿子の言葉通り、その場から去る司を気に留めるものはいなかった。梓乃が事前に根回しをしていたのか、久し振りに会えた級友同士で盛り上がっているからなのか。恐らくはその両方なのだろう。

 さて。それでは可愛い僕の恋人は、一体何をたくらんでいるのやら。

 …………で。

 自分の部屋に戻ってきた僕は、早速彼女を探したのだけど。

 最初は何が起きているのかさっぱり分からなかった。……寒い。冷房をえらく効かせてある。何故だ?照明も何故か薄暗くしてある。

「……梓乃。いるのか?」

「……はい」

 梓乃はベッドの上にちょこん、と女の子座りしていた。帽子をかぶって、ちょっとカラフルな下着をまとって、寒いのか両腕を胸の下で組んでいる。眼はきょろきょろ、とあらぬ方向を彷徨い、僕を何故かまともに見ようとしない――と、そこまで見て僕は気づいた。

 下着と見えたものは、布ではない――

「えーと、梓乃……それは……?」

 羞恥心からなのか、今にも消え入りそうな声で梓乃は答える。

「やっ……夜食、です」

「……はい?」

 食べ物など何処に?と思った僕の疑問は、現実の前にあっさり氷解した。

 ナイトキャップと見えたのは、巨大なアイスクリームコーンだった。

 下着と見えたのは硬めにホイップされた生クリームでした。それもまず普通の生クリームと、ミント系をベースに黒い粒を散らしたクッキークリームの二種類が、上半身から臍まで及び、腰から大事な部分と太腿にかけて。要するにベッドと直接触れない部分の肌の殆どが、二色のクリームに彩られているのだ。薄暗がりの中ではあたかもブラとショーツをはいているように見えたのも無理はない。

 しかも、誠に丁寧なことに、肩から鎖骨のくぼみにはチェリーやイチゴを可愛くトッピングして、周りはクリームを絞ってデコレート。とどめに首と両足首に可愛いリボンを蝶結び。腕を組んで、強調された胸の谷間にも特大のイチゴとシナモンスティックとウエハースがトッピング。ほとんどパフェのようだ。

 そして太腿の間、中心の淡い翳りの部分はクリームを絞った上に……チェリーが一つ。

 ……結城、お前は確かに悪くない。食べ物はここにありました。だけど、と僕は梓乃に尋ねざるを得ない。

「なあ……梓乃、これはどういう」

「あの、その……今のわたくしはケーキです……」

「はい?」

 半ばやけくそ気味に梓乃が叫ぶ。

「ケーキなんです! その……頑張って、作ったのでぜひ、食べて……頂けないか、と……」

 肌がいつもより白く見える。恐らく、リボンを首と足首に結んだ後、パウダーを全身に振り掛けてクリームを自分でデコレートして。最後にコーンをかぶったのだろう。

 正直、手間もさることながら、その後一歩も動けなかったであろうと思うと、ああ頑張ったんだなあと思う。

「せ……清潔に致しましたのでっ、全部口にして大丈夫ですから……どうしました?」

 目頭を押さえる僕。清潔とかそういう問題でもないような。

「いや、ちょっと眩暈が……だけど、大変だったろうに」

「ちょっと寒いですけど……司さんが来る前に崩れてしまっては、と」

 部屋が寒いわけも理解した。クリームが溶けるのを抑えるためだったのだろう。

「なるほどね。これでは夕食を控えめに、と言うわけだ。……食べきれるかな?」

「たっ、食べちゃって、下さい……」

「……中身も、食べちゃっていいのかな?」

「なっ……中身も……ですっ」

 まあ、ここまでしてくれる恋人を前に、据え膳食わぬ男がいたら僕でもハタくだろう。

「じゃあ……頂こうかな」

 僕はベッドに近寄るといきなり、肌色を加えて都合三色に彩られた二つの山に触れる。

 片側の鎖骨から乳首にかけて、人差し指でついーっと撫でてみた。

「ひゃうっ! ――あぅ」

 指先を丁度乳首のところで離してあげると、ぺろり、と指先のクリームを舐めとる。

「……美味しい。甘すぎずくど過ぎず。流石だな」

「もう……いきなり胸からですか?」

「美味しいものは先に食べる主義だ」

 続いて梓乃の胸を彩っているクッキークリームのほうをぐりん、と乳首の周りで円を描くように撫で付ける。かたちのいい胸がぷるん、と揺れて、デコレーションが崩れそうになる。

「あんっ……クッキーが……こすれちゃいます」

 むずかる梓乃を無視して舐めてみた。うん、こっちも絶妙。 

 このまま落書きしたくなったのはひみつだけど。

「ど……どうですか?美味しいですか?」

「カメラを用意するべきだったな。殿子も見たがるだろう」

「ちょ……やめてくださいっ! そんな写真を取られたら、わたくし生きていけませんっ!」

「……いや、こんな格好をしてしまった後で今更何を言われても説得力が」

 まあいいか。確かに人に見せるのは勿体ない。

 今度はふともものクリームを指でちろっと拭い、口に運ぶ。

「こっちが先でも良かったかな。……真ん中も美味しそうだ」

「あの――わたくしにも一応心の準備というものが」

 そりゃいきなり、ではあまりに潤いがないというものだろうけど。

「まあ、何処からでも僕は喜んで食べるよ。梓乃の身体は、全部美味しい。じっくり味わうさ」

「……もう……お上手なんですから――でも、じっくりで……いいですよ?」

 何かもう人としてアレな気もするが、美味しいんだから仕方ない。ちょっとずつ手の動きは大胆になり、クリームとトッピングは肌と混ぜ合わされていく。

「そうだね。すぐに食べ尽くしたらもったいない。せっかく、梓乃を彩ってくれているのにな」

「あっ……いつもわたくしをあんなに激しく弄ぶくせに今日は何か……丁寧ですね……っ」

 僕が指をちろちろと動かす度、クリームに混ざったクッキーが敏感な突起を刺激する。

「あ……やんっ……それ……ざらざらしますっ」

「……これも期待して、作ったんじゃないのかな?」

「ち、違いますっ……単に美味しいのでは、と思ってっ……あっ」

「……確かに、美味しいよ。クリームも……梓乃も」

 ぺろん。うーん、やっぱり美味。そのまま、ちゅちゅちゅるるっ、と乳首を舐める。クリームのざらざらした感触を隔ててそこにある突起を一緒に甘く噛んでやる。

「痛っ……あ」

 体を引こうとする梓乃を僕は逃がさない。

「痛いだけ?……じゃあ、これはどうかな」

 梓乃の「痛い」は苦痛だけでないことは僕も既に知っているので、ここで逃がしてはいけないのだ。

 ふむ。こんなふうに首の真っ赤なリボンをほどいて……幸い、だいぶ長めだ。

 胸を強調するように二の腕の上から下乳に回して縛ってしまう。

「やああ……やだっ、これ恥ずかしいですっ……あぅ」

「でもそんなに痛くはないだろ?そもそも今更恥ずかしいと言われても説得力ないし。多分、ちょっとは気持ちいいよね?」

「酷いです……いつも私を縛っていつぞやはお尻をいじろうとしたりして。変態変質者淫行教師、貴方なんて大っ嫌いですっ……」

 人聞きが悪いなあ。でも、気持ちよくないとは言わないのな。

「僕が縛りたいわけじゃないぞ?梓乃がいつも縛ってくれって言うんだから」

「縛って下さいなんて言いませんっ……酷いです、ずるい言い方ですっ」

「そうだな、僕はずるいかも。教師のくせにこんな可愛い生徒を好きになっちゃったんだから」

「っ……そうですっ! 貴方はずるいんですっ!……だって」

 でも、糾弾するその声は何処か甘く優しくて。

「いつもいつもわたくしが言ってからでないと……好きと言ってくれないですっ」

 そこは単に拗ねていただけらしい。

「……今度から気をつけるよ。毎朝おはようの前に、まず好きだといってあげなくちゃな」

「……いえ、そこまでせずとも、おはようだけで十分ですけど」

 もう機嫌を直した梓乃がくすり、と笑う。

「……梓乃も食べてみるかい?君自身の味が移ってるかもだけど」

「もう……自分の指を舐められないのは、良い料理人ではないと申しますわ」

「じゃあ、人の指は?」

「司さんの指なら……な、舐められますっ……」

 何気に凄いことを言わせてるような気もするが、じゃあ、ここは?と僕はとある一点を指差す。

「君の肌から……クリームが移ってるんだけど……食べてみる?」

 下を見て、真っ赤になる梓乃。

「……もう……変態……だいっきらいです……」

 そう言いつつも、彼女はゆっくりと僕の下半身に震える唇を近づけていく。

 僕の肉茎が、柔らかで湿った感触に包まれる。それだけで背筋がぞくっとなった。

 ちゅぷ。ふるふる、ちゅぷん。ぞろり。

 梓乃の舌がクリームを舐め取っていくと、僕にもクッキーの刺激がちくちくと刺さる。

「う……なるほど……これはすごいな」

 ざらざらした感触が舌と粘膜の間に挟まって転がる。痛いような、でもぞくぞくするほど気持ちいい。猫の舌というのはこんな感じだろうか、と思った。

「わひゃって……いただけまひゅたか」

 亀頭を含んだままで梓乃が返答すると、そのまま僕を嬲るように舌を躍らせる。

 ちゅぱ、ちゅぱ、とゆっくり梓乃の頭が前後する。手が使えないのでやりづらいようだが、そのぎこちなさがかえって興奮を煽る。

「うぐ……ふぅ、ふぅ……ちゅぷ」

 異常なシチュエーションのせいか、僕もいつもより興奮が激しい。直ぐ昇りつめそうになる。体が熱い。必死で別のことを考えてみる。

 うーん。客観的に見ると、両手の自由を奪った娘さんに僕は奉仕を受けているわけで。

 御祖父さんに見られたらさすがに「えらーい!」とは言ってくれない気がするけれど、まあ仕方ないよね。

 このまま口に出してしまうのも簡単だけど、それはここまでしてくれる梓乃に対しちょっと申し訳ない気がしたし。

 何より僕も、梓乃の中で早くひとつになりたかったので。

「よし……食べちゃおう」

 僕は梓乃をそのまま横たわらせる。まだ食べていないクリームやフルーツがそこかしこに散らばっていたけれど、これ以上は我慢できなかった。梓乃の秘所を彩るクリームを、まず一気に舐めとる。再びざらざらとした感触、そして甘さとミルクの匂いと――梓乃の匂い。

「ひゃうっ!あぅ……つ、司さんっ駄目ぇっ!」

「……ふふ、いい潤滑剤だね」

 僕のそれは痛いほどに膨れ上がっていたが、彼女の中も既にぐちゅぐちゅだった。舐める前から既に洪水だったみたいだ。もう愛液なのかクリームなのか判別し難いほどだけど、ともあれ準備は万端。僕は梓乃の耳元にそっと囁く。

「入れるよ……梓乃」

「……は、はい、あなたっ……どうぞお召し上がり下さいっ……!」

 返事と同時に、速やかに僕は彼女の中心に肉茎を打ち込んだ。ぢゅるん、とクリームを巻き込んで、柔らかな鞘が僕を密着して受け止める。

「……ひゃあっ! ううんっ……んっ!」

「こら……腰が逃げちゃうよ」

 いつもなら直ぐに応えて腰を合わせてくれる彼女だが、今日はどこかぎごちない。

「きっ今日は!……いつもと違うせいか……緊張が解けなくて……でも良いんですっ! 私の体を逃がさないで下さいっ!捕まえていて……下さい」

 確かに彼女の体はまだ硬いような気もするけど。でもそれは寒い中ずっと動かずにいたからじゃないのかなあとも思うのだけど。

 まあ、それなら無理やりにでもあっためてあげないとね。

「――リボンだけじゃあ、足りないかな?」

「……ベッドの、下に」

「うん?このロープは……いつもの」

「こんなこともあろうかと……」

「……予想済みかっ!」

 やっぱり侮れず、僕の恋人。

「はいっ……もっと、縛って下さい……わたくしを貴方に、もっと結びつけて……下さい」

 無論僕も、もっともっと一つになりたい。

 でも、変な縛り方をすると動きづらいし胸にはもうリボンがかかっているし。

 ちょっと考えて。一旦胸のリボンをほどくと、互いの手首にそれを結んだ。

「……これは?」

「今日はロープじゃなくて、これだけでいこう。まあ、僕の心構えみたいなものかな」

 僕たちはずっと繋がっている。片方からだけではなく、お互いの思いで。

 だからこれは束縛の綱ではなくて、思いを繋ぐ赤い糸だ。

「ずっと、君の手を握っているから――梓乃も、握っていてくれ」

「――はい」

 今はまだ、時に必要になるかもしれないけど、ロープはいずれ、ただの象徴になる。

 既に、お互いに恐れるものは何もないのだから。

 お互いが居れば、どんな事も乗り越えられると、そう信じられるから。

 心を縛るものは必要ない。繋がっていれば、それでいい。

 でも。

(――体を縛るのは、たまにはいいかな)

 何故かって?それはそれで楽しいし、梓乃もまんざらではないみたいだしね。

 ともあれ。併せた手を互いにぎゅっと握り締めて、再び僕は梓乃の中に突入する。

「あふぁっ!」

 きゅうきゅうと彼女が僕を時にきつく、時に柔らかく、そして常に温かく僕を包む。

 緊張はすぐに解けて、梓乃の身体も僕の身体も熱く、柔らかに変わっていく。

「はうっ!あなたぁっ! 気持ちいいっ……気持ちいいですっ!」

 溶け合って一つに。そして二つに分かれても、常に僕たちは繋がっている。

 体と心が不可分であるように、僕たちは不可分の時間を生きている。

 絶頂は唐突にやってきた。汗ばんだ互いの身体が幾度目か密着した瞬間、梓乃の膣がぎゅううっ、と僕を絞りつくすように締め付けて。

「あっ……ああああああああっ!」

「ぐぅうっ!……梓乃っ!」

 梓乃が達すると同時に、僕は彼女の内奥に思い切り白濁をぶちまける。精液がどくどくと打ち込まれると、びくり、びくりと痙攣しつつ梓乃の子宮はその全てを受け止めていった。

「あふっ……あっ……はぁ……」

 量が多すぎたのか、秘所から溢れた白濁は太腿とシーツの間に残るクリームと混ざり合い、淡いマーブル模様を描いていく。

 放心した梓乃はとても綺麗で儚げで、だけど同時に、確かに揺るぎなくそこに居る。

 僕の最愛の人はとても可愛くて、だからもっと気持ち良くしてあげたいと思う。

 だから僕は、そのままぐったりした梓乃を抱え上げて。

「……はあっ……はぁっ……え?」

「まだまだ、これからだよ? 梓乃」

 そう、夜はまだこれから。僕ももっと気持ち良くなりたいし、梓乃にもそうしてあげたい。

「あのっ……わたくし、まだ息がっ……きゃあああっ!」

 腰を引いて逃れようとした梓乃をそのまま抱きすくめる。まあ、片方の手首が繋がっていれば当然逃げられるはずもなく。

 これが何故かって、の理由のもう一つでもあります、はい。

 付け加えれば、僕と梓乃がそちら方面にも興味を持ちつつあるから、ということで……まあ、そんなカップルがいてもいいよね。今日の僕はお預けを喰らっていたぶん、まだまだ精神的に餓えている。肉体的にも普段より元気な気がするけど、これはまあシチュエーションのせいだと思う。多分。

 というわけで。おそるおそる見上げる梓乃に僕はにこやかに宣言する。

「ふっふっふ――僕のためにお膳立てしてくれた以上、最後まで残さず頂くよ。お代わりっ!」

「ちょ――この上わたくしに何をお求めにっ!」

「いろいろ」

(ふええええん……クッキーに強壮剤を混ぜたのはやっぱり間違いだったのでは……っ?)

 迷いに迷って、最後に通販さんに頼んだのだったけど。

 梓乃の自業自得だった。



《6》


 殿子は深夜の廊下を歩いていた。何故か満タンのウイスキー壜を手にしている。わずかに眼だけがやや座っているようだが、それ以外は殆ど普段と変わった様子はない。先刻までの狂騒とは全く無縁だったかのような、いつも通りの殿子だった。

――その狂騒がいかなるものだったかと言うと。

「さて、先生もいなくなったことだし」

ということで、二次会では当然のようにアルコール飲料が登場した。

「よし、かんぱーい! さーみんな飲め飲めっ! 飲まんやつは南氷洋で鯨とデートさせるぞ!」

「……皆様、お注ぎしてもよろしいでしょうか?」

「鯨より男の子がいいよっ! まあ、みんな十八歳以上だしいいんじゃないかな!」

「お酒は二十歳からですよちとせ。風祭さん、仮にも理事長ともあろう人が法を軽視しては」

「まあまあまあ、今日はもうそーいうのなしなし! ほら鏡花ちゃん飲んで飲んでっ」

「もう……仕方ないですわね……ぶっ! ちとせーっ! これは何ですかっ!」

「スピリタスの紅茶割りだよっ。スリーフィンガーでやってみましたっ」

「入れすぎですっ! 喉が焼けるっ!……あんたも飲みなさいこのこのっ!」

「ひゃあああっ! 鏡花ちゃんが壊れたあっ!」

「ふははははっ! いいぞいいぞ!もっと飲ませろ!」

「……もう、お嬢様ったら……鷹月様はお強いのですか?」

「人と比べたことが無いから判らないけど、二日酔いになったことはないかな?」

 ちなみに、ウオッカの一種であるスピリタスのアルコール度数は驚く無かれ九十六度。

 ツーフィンガーでも入れすぎなので若者は真似しない様に。

 で。そんな感じであっという間にどろどろずぶずぶな宴会となった結果。

「うう……リーダぁ、鉛入りのロンドンブーツを持って来い……これで後十年は戦える……」

「りじちょーどうせもう伸びないんだから外見だけ偽っても無駄だよぅ……クマどこ? あたしのクマは……? ふぁ」

「結城の馬鹿め……これはお前を蹴とばすために……おぇ」

「はいはい、お嬢様? まずトイレに行ってからベッドに入りましょうね。結城様もこちらへどうぞ」

 みやびとちとせはあっさり潰れてしまい、リーダさんも世話で引っ込んでしまったので、後に残されたのは鏡花と殿子の二人。

 気がつけばテーブルから離れ、床に座り込んで差し向かいでぐびぐび酒を空けていた。竜神丸。泡盛二百年古酒。リシュブール・ラ・ターシュ。バランタイン三十年物。その他諸々。上原から預かってきたというピータンとくさや、それにローストビーフの残りをつまみに物凄い勢いで酒が消費されていく。

 しかし、そんなペースがいつまでも続くはずもなく、殿子がふと気がつくと目の前で鏡花は沈没していた。床に突っ伏してぶつぶつ呻く鏡花は名状し難い生き物の三歩手前といったところだ。見た所急性アルコール中毒の心配はなさそうだが、顔はまっかっかだった。

「ううっ……臆病者一穴主義者っ……ちょっとくらいアラブの王族を見習ったって良いではないですか……」

 なにやら夢の中で誰かを問い詰めているらしい。まだ起きていたリーダさんと一緒に、鏡花を客室に運んでちとせの隣に寝かせてから、殿子もその場を辞した。片付けを手伝おうとも思ったが、リーダさんが笑って部屋から押し出すので厚意に甘えることにする。

 宴の開始から約五時間。まだ殿子は正直飲み足りない。幸い、バランタインの三十年物がまだ丸々一本残っていた。

「……このままでもいいかな」

 氷がもう無いが、良い酒はストレートで飲むべし、ともいうし。

「……部屋で、飲もう」

 夜の廊下はとても静かで、とことこ歩く殿子の足音だけが響く。リズムはあくまで軽やかで一向に乱れはない。とても何リットルという酒を消費したとは思えなかった。

(鏡花があんなに乱れるとは思わなかった)

 笑って泣いてクダまいて絡む。一言で言ってタチの悪い酒だったが、鏡花は普段から自分を殺すタイプだけに、溜め込んでいたのだろうと思うととりたてて怒る気にはなれなかった。

 それなりに興味深かったし……例えば、司に対する感情なども含めて。少々、自らを省みて思う所も有ったり無かったり――などと思考が彷徨う中、耳が異変を捉えた。

 梓乃の部屋からかすかに、きゅうきゅうと鳴き声が聞こえる。

「……ダンテ?」

 司の部屋に行く前にダンテを置いていったのだろう。それは有り得ることだが、鳴き方がどうもおかしい。扉越しにですら聞こえるとなれば、なおさら。

 仕方ないので合鍵で中に入ることにした。ちなみに、梓乃の部屋の鍵を持っているのは司と彼女だけだ。開けたとたん、ダンテが尻尾をふりふり飛びついてくる。

「わぅわう! わうっ!」

 喜んではいるものの、どこか切迫した響きがあった。

「ダンテ、どうしたの?」

「ゎぅ。はっはっはっはっ……」

 ダンテの舌は全く濡れていなかった。息もどこかぜえぜえと枯れている。

「乾いてる?……ああ、そうか」

 ダンテの飲み水容器がからっぽになっていた。準備で忙しくて足すのを忘れていたか、それとも。殿子は、ややあって原因らしきものに思い至る。

「チキン、しょっぱかった?」

 きゅう、とダンテがかぼそく鳴いた。フライドチキンを調子にのって大量に平らげたものの、味が濃かった分後になって喉が乾いたのだろう。水を足してやると物凄い勢いで飲み干したが、それでとりあえず満足したらしい。殿子の元に戻ってきて尻尾をぶんぶんして喜びを表現する。

「落ち着いた?よしよし、私の部屋に行こう」

「わう」

「……お酒、付き合う?」

「くうん……?」

「ふふ……なんてね」

 手にもったボトルを揺らして、殿子は再びふわりとした足取りで部屋へ。ダンテはその後をとことことついていく。

 特に語るべき不満も愚痴もないけれど。

 だけど殿子にだって、酔いたい夜はあるのだった。



《7》


 さて、翌朝殿子が目覚めると、部屋にダンテの姿は無かった。

 扉が少しだけ開いていた。そういえば、鍵はかけていなかったような気もする。

 ……うろ覚えだけど。

「……あれ?」

 最後、ウイスキーを飲み干して眠っただろうか。あまり記憶がない……けれど、ほとんどは自分で空けた気がする。確かめてみると、おぼろげな記憶の通り壜はすっかり空になっていた。

 だがしかし、その前には誰かが舐めたような小皿も一枚、床に置かれていたわけで。――そしてまた、それも当然のように乾いていた。

「………………」

 殿子は首をかしげてやや考えた後、結論に達する。

「……ダンテ、探したほうがいいかな?」


 臆病ないつかの僕はこのさい蹴飛ばせばいい

 今僕が君を抱きしめたら

 きっと素晴らしい時が 違う明日が

 やってくるはず



《8》


 かりかりかりかり。

 ドアを引っかく音がする。

「……?」

 時計を見ると、まだ朝の五時だった。不審に思った僕は何とかベッドから起き上がる。

「……なんでしょう?」

「ああ、寝てていいよ。ベッドから出ないで」

  手のリボンを解くと、梓乃を残して僕は扉に向かった。この時間に起きてくる生徒はあまり居ないと思うが、仮に生徒だとしたら梓乃を見られるのは少々まずかろう。

 で、ふあああ、と欠伸しつつ開けてみると、そこには白黒ぶちの見慣れた姿が。

「……ダンテ?」

 しかし、そこから先の行動は普段見慣れないものだった。

「わうっ! わうわうわうわうっ!」

 ダッシュで部屋の中に突進してきた忠犬は、愛するご主人を見つけるとさらに犬まっしぐら。

「え……? っきゃあああああっ! ダンテ駄目! そこは舐めちゃだめっ! きゃはははっ!いやそのほらそこは敏感なの駄目ぇえええ!」

「……なに? 何が起こってるんだ……殿子?」

「……あー、やっぱり」

 音を立てないようにか、早足で廊下をやってきた殿子が、ちらりと部屋の中を覗いてちょっとだけ困った顔をする。

「司、ごめん。ダンテがお酒を舐めちゃったみたい」

「あー。それであんなになってるのか」

 納得。しかも、最愛のご主人には美味しそうなクリームやフルーツの臭いが染み付いてるわけで。そりゃ僕も大分頑張ったけど、全部食べつくしたわけではなかったし。

「……梓乃は美味しいか? ダンテ」

「司さんっ! ちょっとそんな悠長なっ……ダンテの眼がおかしいです普通じゃないですっ!助けて下さいいっ!」

 えーと。申し訳ないがけっこう見てて面白いんですけど。

「……せっかくだから、もう少し見てようかな」

「はううったすけてたすけなさいってば! この不埒者覗き魔フェチシスト変質者! 貴方なんて大っ嫌いでうぁあっ」

 梓乃の有様を見て、殿子はくいくい、と僕の袖を引っ張ると「医療用」とラベルの貼られたペットボトルを差し出す。

「ダンテに飲ませてやって。アルコールを体から出してやらないと」

「……生理食塩水か?準備がいいな」

「医務室からもらってきた。半分は私の責任だから」

「梓乃は気にしないさ、きっと」

「……そうかな?」

 首をかしげた殿子は、にこりと笑って。

「写真、とっとこうか? そしたら多分気にすると思うけど」

「お前、たまに黒いなあ……」

「ふふ……あんまり騒がしくしてると、みんな起きてくるから、ほどほどにね」

 とことこ、と歩き去っていく殿子の足取りはやっぱり全く乱れていないのだったが。

「……あいつも、だいぶ飲んだのかなあ?」

 いつもながら不思議な子だった。やや瞼が重たげだった以外は、全く普段と変わりなく見えるのだが……まあいいか。

「うーん、結果論ではあるが……僕としては非常にいい夜だった、かな?」

「ふええんっ……! 全然良くないっ! 今この時が良くないですっ!」

……そろそろ円満な家庭生活のためには潮時かな?と僕は思ったので、ひょい、とダンテをつまみあげると台所へ連れて行く。

「はいダンテ、そこまでな。君も酔いを醒まさないと」

「……わう?」

 僕の言葉で、どうやら我に返ったらしい。とぽとぽ、と深皿に殿子からもらった水をあけて、その前に彼を降ろしてやると大人しくぴちゃぴちゃと飲みだした。

 はあはあぜえぜえ、とまだ息を切らしつつ梓乃が僕を恨めしそうに見る。だけど涙ぐんだその顔も、とても綺麗で、可愛い。

「怒ってる?」

「……いえ、もう怒る気力も……でも、もう少し早く止めて……あ」

 だから僕は、彼女をそのままベッドから抱き上げる。

「あっ……司さん……まだべたべたしますよ?」

 クリームの残りとダンテのよだれと。そして僕と彼女の体液でもう本当にどろどろのべたべただけど。

「いいさ。このまま一緒にシャワーを浴びよう」

 そうして僕たちは互いに笑いあって、キスをして。

 そして、これからも毎日言うであろう言葉を、今日も言うのだ。


「おはよう、梓乃」

「……はい、おはようございます……あなた」


 僕たちの前には、常に違う明日がやってくる。

 でも、この素晴らしい時間は常にそこに在る。


 ――そんなわけで、この話は。

 とりあえずの、おしまい。




「やりすぎ。それはやりすぎです。」end.